持ち込みの歴史(前期

中学生のころからペン入れ漫画を描いてみるようになりました。
画材店で買うB4のケント紙(30円)は子供にとって高かったけど、
ペンやら雲型定規やらを買いそろえるうちに、 漫画家っぽさを感じ、
嬉しい気持ちになりました。

敬けんなジャンプ信者であった私は迷わず週刊少年ジャンプに持ち込みしました。
確か中学二年生ぐらいだと思いますが、初めて見る集英社のビルの前に立った時。
今で言うともう、心臓バクバク状態です。 思わず足がすくみましたが「ここを通らなければ漫画家にはなれない!」
と自分に言い聞かせました。

えいっ!と狭い玄関を通って、電話した時に教えられたように、
受付嬢に「ジャンプのSさんをお願いします。」と言ったはずです。
Sさんーーーーー当時江口寿志の漫画で「クンタ」(テレビドラマ「ルーツ」の主人公の名)と呼ばれて いた人です。
「どんな人なんだろう?やっぱり厳しくて怖い人(編集者のイメージ)なのかなぁ?」と 不安で一杯でしたが、
実際会ったSさんは、ヤングなお兄さん編集者で、優しそうな方で安心しました。
早速ペン入れ処女作を渡したら、「その間これ見ていていいよ。」と、何と「Dr.スランプ」の生原稿
渡してくれましたっっ!! 鳥山先生のきれいな原稿にプロのレベルの違いを見せつけられました。

クンタ・・・いえ、Sさんは私の漫画について、好意的にアドバイスしてくれました。
とにかくショックを受けるようなことは言わないようにしていたんでしょうね。
多分当時、中学生でジャンプに持ち込みに行く女の子は少なかったはずですし・・・。
確か人間と動物の合いの子の実験人間の悲哀のこもった漫画を持って行ったはず・・・・
「好きな漫画家は?」と聞かれて「水島新司先生と高橋よしひろ先生と車田正美先生です。」なんて言ってたような・・・・ (今と全然違うのは何故?)
「どんどん描いてください。」みたいなことを言われ、次はホップステップジャンプ賞(月例賞)に投稿して、最終選考に残りました。

高校生になり、落書き漫画もそれなりに描いていたと思うけど、とにかくクラブがきつい。
ペン入れ原稿を完成させるなんてなかったはず。 それでも付属校という利点を活かして
三年生の時(←おい)に今度は少年サンデーの新人賞に応募しました。
絵は今見ると素人くささ大爆発!!!な稚拙なものですが、とにかくテーマ性も入れたお話として まとまったかな?という感覚はありました。
「賞に引っ掛かるといいな・・・。いや、引っ掛かってくれなきゃ困る!!」と思っていました。
が、それから2ヶ月くらいして家へ帰ると机に電報が置いてあります。
見ると「コミックタイショウ カサクジュショウ シキュウ レンラククレタシ」との文字が! 「やったあ〜〜〜!!」と思わず叫んだはず。
また心臓バクバク状態で編集部へ電話をすると、授賞式の日時や、次回作の持ち込み等話した記憶がありました。
憧れの授賞式には失礼のないように制服姿で行きましたが、行ってビックリ。誰一人改まった服装をしてないじゃぁありませんか!
皆さん普段着のままって感じで、女一人制服姿で浮いていました・・・・_| ̄|○

その場で賞金まで手渡しされ、今まで「漫画家なんて駄目だ!」と言っていた父は、賞金を見るなりコロリと 寝返り、
漫画家になることを許してくれました。

親のオーケーももらい、いよいよ「漫画家になれるんだ!!」と希望に燃えていましたが、そんなに簡単に プロ作家になれるもんじゃない、
というのは今となってはよ〜〜〜っくわかるのでした。 (前期 持ち込み 終わり)